今回は十字軍編ラスト。イスラーム世界から十字軍はどう見えていたのか。その視点を中心に十字軍をメタ認知していきましょう。単なる宗教対立ではない「十字軍」というイベント。少しだけ紐解いてみます。
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だらず世界史|十字軍シリーズ
- #2 十字軍・宗教編
- #3 十字軍・政治権力編
- #4 十字軍・交易文化編
- #5 十字軍・イスラーム編(この記事)
① 十字軍パラダイムを疑え——イスラームとキリスト教は本当に対立していたのか
「十字軍」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるだろうか。イスラーム対キリスト教の宗教戦争。聖地をめぐる文明の衝突。そういったイメージを持つ人は多いだろう。
しかし、イスラーム法学者の中田考はこのような見方を「十字軍パラダイム」と呼び、警戒を促す※1。十字軍パラダイムとは、イスラームとキリスト教の対立を「本質的・絶対的なもの」として捉える固定観念のことだ。歴史的な衝突・軋轢があったのは事実だが、問題はその枠組みが実態よりも対立を誇張し、認識を歪めることにある。
実際、イスラームとキリスト教の関係は最初から敵対的ではなかった。ムハンマドが宣教を始めた7世紀初頭、メッカの多神教徒に迫害された信徒たちの一部を、ムハンマドはキリスト教国エチオピアへ逃がしている。
その後、イスラーム勢力が拡大してシリア・エジプトを征服した際も、現地のキリスト教徒に改宗を強制することはなかった。征服後100年たってもシリア・エジプトのムスリム比率は2%に過ぎず、研究者間で議論はあるものの、ムスリムが50%を超えるのは征服から300年後とも言われる——アッバース朝期のことだ※2。十字軍によるパレスチナ侵攻後も、庇護民であったキリスト教徒が殲滅されるような事態は生じなかった。シリア・エジプトでは現在に至るまでキリスト教の諸宗派が残存している。
「十字軍」という言葉自体がキリスト教側の呼称であることも象徴的だ。イスラーム側の史料では、十字軍士たちは単に「フランク人」と記録されている——西欧キリスト教世界を代表する民族として認識されたフランク人が、遠い西の海の向こうからやってきた、という程度の位置づけだったのである※3。
② ジハードとは何か——イスラーム法学から読む聖戦の論理
十字軍とイスラームの関係を考えるとき、「ジハード」という言葉は避けて通れない。現代では「イスラーム過激派の暴力」というイメージと結びつきがちだが、イスラーム法学における定義はずっと精緻で複雑だ。
ジハード(アラビア語:جهاد)とは語義的には「力を尽くすこと」を意味する。イスラーム法学では「不信仰者との戦い、その撃退のために生命・財産・言論を捧げること」と定義される※4。重要なのはこれが「連帯義務」とされている点だ。連帯義務とは、ウンマ(イスラーム共同体)の誰かがその義務を果たせば、他の成員は免除されるという義務のことで、全員が戦わなければならないわけではない。
ジハードに参戦する義務が生じるのは、①イスラーム信仰、②成人、③正気、④自由、⑤男性、⑥健康、⑦戦費の自己充当——この7条件を満たす者に限られる。女性・子供・病人・奴隷・貧者には義務が課されない※4。
また連帯義務が個人への義務に変わる場合が3つある。イスラーム軍が敵と遭遇した時、異教徒がムスリムの土地に侵入した時、そしてカリフから招集を受けた時だ。つまりジハードの宣戦はカリフの専権事項であり、誰かが勝手に宣言できるものではなかった——少なくとも古典イスラーム法学上は※4。
戦闘にも厳格なルールがある。非戦闘員(婦女子・老人・病人・修道士・農民)の殺害は禁じられ、農作物の収奪も原則禁止だ。そして戦争の終結は①改宗、②停戦協定、③庇護契約(人頭税ジズヤの支払い)という3つの形をとる※5。
注目すべきは停戦協定の条件だ。「敵の異教徒が優勢でムスリム側が弱体である場合」にのみ停戦が認められる。つまりイスラームが優勢であれば改宗か人頭税かを選ばせる——一見強硬に見えるが、裏を返せば「勝てない時は無理に戦わない」という合理的な戦争法規でもある※5。
このジハードの法体系が最終的に機能不全に陥ったのは、1924年のことだ。オスマン帝国崩壊後にトルコ共和国を建国したムスタファ・ケマル(アタテュルク)がカリフ制を廃止した。ジハードを宣言できるカリフがいなくなった——これによって古典イスラーム法学の定める正規のジハードは、理論的にも不可能となったのである※6。
③ キリスト教側からイスラームはどう見えていたか——カエサリウスの例話
イスラーム法学の側からジハードの論理を見てきた。では同時代のキリスト教側の人々は、イスラームをどのように認識していたのだろうか。
13世紀のドイツ・シトー会修道士カエサリウスが編纂した『奇跡についての対話』は、その問いに意外な答えを示す※7。この書物は修練士の教育のために700以上の「例話」を集めたもので、その中に十字軍とサラセン人(ムスリム)に関する13の例話が含まれている。
驚くのは、これらの例話においてイスラームの信仰内容がほとんど語られていない点だ。十字軍説教師たちが宗教としてのイスラームをどのように理解・批判していたかは、例話からはまったく読み取れない。イスラームは「海のかなたにいる軍事的な敵対者」として登場するだけで、ヨーロッパ世界に直接的な脅威を及ぼす存在としては描かれていないのである※7。
ドイツを中心に活動したカエサリウスにとって、十字軍の戦場は遠い異国の出来事だった。例話の中のサラセン人は、奇跡物語の舞台装置として登場する程度の存在——仏教でいう「天竺」のような、遠くにある聖なる場所をめぐる物語の敵役、といったイメージに近い。
むしろカエサリウスが本当に恐れていたのはイスラームではなかった。彼が最大の脅威として描くのは「偽りのキリスト教徒」——カタリ派をはじめとするキリスト教世界内部の異端である。カエサリウスの危機感は、外部ではなく内部に向けられていたのだ※8。
④ 共存という現実、そして内なる腐敗——十字軍が照らし出したもの
十字軍とイスラームの関係を「対立」という一言で片付けることへの疑問は、現地シリアの史料を見るとさらに深まる。
12世紀のシリアでは、ムスリムと「フランク人」(十字軍勢力)の間に、戦争と並行して外交・条約・経済的な共存関係が成立していた※9。十字軍がアンティオキアに到達した1098年、早くもエジプトのファーティマ朝から友好条約の締結交渉が行われている。その後ダマスクスとエルサレム王国の間では、領土交換・収穫の分配・通行の安全保証などを内容とする条約が繰り返し結ばれた。条約の内容は圧倒的に経済的なものが多く、ビカー平野の収穫をどう分けるか、といった農業的・商業的な取り決めが中心だった※9。
戦場では激しく戦いながら、農地では収穫を分け合う。12世紀シリアの現実は「文明の衝突」という単純な図式では到底捉えられない。
一方でキリスト教世界の内側に目を向けると、十字軍が照らし出したのは深刻な腐敗の実態だった。
十字軍から帰還した兵士たちは参加前より素行が悪化し、聖地での死を選んだ騎士の例話が複数記録されているのも「帰国すれば罪深い生活に戻るだろう」という現実認識があったからだ。高利貸が説教師を騙して免除を得ようとする話、偽の説教師が現れる話——十字軍勧誘の現場は混乱に満ちていた※10。
極めつきはサラディンの息子ヌーラディンの使者がキリスト教徒の修道士ヴィルヘルムスに語った言葉だ。「エルサレムのキリスト教徒たちは、娘や妻を巡礼者と売春させて富を蓄え、食道楽と肉の誘惑に耽っている。このような者たちを神がこの地から追い払ったのは当然だ」。ヴィルヘルムスは反論できなかった。カエサリウスもこの批判に同意している※10。
共通の外敵を作ることで内部を統一しようとした十字軍が、実際には内部の矛盾をより鮮明に浮かび上がらせた。そしてこの内なる腐敗への危機感こそが、やがて宗教改革の種となっていく——それはまた別の物語だ。
全4回にわたって十字軍を見てきた。
第1回(#2宗教編)ではエルサレムという聖地の複雑な歴史を、第2回(#3政治権力編)では十字軍国家の政治的な実態を、第3回(#4交易文化編)では商業都市との運命共同体と東西の連鎖を、そして今回(#5イスラーム編)ではイスラーム側の論理と十字軍が照らし出したキリスト教世界の腐敗を見てきた。
「十字軍」という言葉が喚起するイメージ——聖地奪回、宗教戦争、文明の衝突——は、いずれも実態の一側面に過ぎない。現地では共存があり、内部では腐敗があり、東方ではモンゴルの興起につながっていた。世界は常につながっていたのだ。
脚注
※1 中田考「十字軍とジハード」『京都ユダヤ思想』第8号(2017年)pp.102–107(以下「中田論文」)、「十字軍パラダイムとその問題」による。 ↩
※2 中田論文、「イスラーム世界の拡大とジハード」による。 ↩
※3 中村妙子「〔書評〕マヤ・シャッツミラー編『12世紀のシリアにおける十字軍とムスリム』」『東洋学報』第78巻第2号(1996年)pp.63–69(以下「中村論文」)、「論集の概要と背景」による。原書:Maya Shatzmiller ed., Crusaders and Muslims in Twelfth-Century Syria, Leiden: Brill, 1993.(論文PDF) ↩
※4 中田論文、「ジハードの法的定義と条件」による。 ↩
※4 中田論文、「ジハードの法的定義と条件」による。 ↩
※4 中田論文、「ジハードの法的定義と条件」による。 ↩
※5 中田論文、「戦争の終結——3つのケース」による。 ↩
※5 中田論文、「戦争の終結——3つのケース」による。 ↩
※6 中田論文、「カリフ制の廃止とジハードの行方」による。 ↩
※7 矢内義顕「13世紀の一修道士がみた十字軍とイスラーム──ハイスターバッハのカエサリウス『奇跡についての対話』から──」『早稲田商学』第427号(2011年3月)pp.125–146(以下「矢内論文」)、「Ⅱ.ハイスターバッハのカエサリウスの生涯と『奇跡についての対話』」による。(論文PDF) ↩
※7 矢内論文、「結語 1.宗教としてのイスラームへの無関心,軍事的な敵対者としてのイスラーム」による。 ↩
※8 矢内論文、「結語 3.キリスト教世界の秩序を脅かす異端」による。 ↩
※9 中村論文、「収録論文の内容——アラブ・イスラーム側の視点」による。 ↩
※9 中村論文、「書評者による批評的考察——ダジャーニー=シャキールの外交論」による。 ↩
※10 矢内論文、「Ⅲ.1.十字軍勧誘のための説教活動」による。 ↩
※10 矢内論文、「Ⅲ.3.サラセン人によるエルサレムのキリスト教徒批判」による。 ↩
参考文献
【論文①】中田考「十字軍とジハード」『京都ユダヤ思想』第8号(2017年)(全文無料公開)
【論文②】矢内義顕「13世紀の一修道士がみた十字軍とイスラーム──ハイスターバッハのカエサリウス『奇跡についての対話』から──」『早稲田商学』第427号(2011年)(全文無料公開)
【論文③】中村妙子「〔書評〕マヤ・シャッツミラー編『12世紀のシリアにおける十字軍とムスリム』」『東洋学報』第78巻第2号(1996年)(全文無料公開)